最低限の思考回路。

最近、手や足に髪の毛が刺さりまくっている野口です。どうも。


今日は祝日ということもありたくさんのお客様にご来店いただきました。いつもありがとうございます。もちろん、密にならないようにお客様同士の距離を取って感染対策も徹底しております。

何度も言いますがこんな状況の中でもわざわざ足を運んでくださるお客様には感謝してもしきれません。スタッフ一同皆様の笑顔に力をいただいております。本当にありがとうございます。



さて、本日は何書こうかなと考えた時にふと思い出したことがあったのでちょっと書いてみます。


ある日のこと。

僕は自宅から駅に向かって歩いていました。天気も良くいつもの時間より早く出たので朝日を感じながらゆっくりめに。

すると、僕の横を中学生くらいの男の子が追い越していきました。急いでるような感じでもなく多分彼の朝歩くスピードはいつもこれくらいなんだろうなという感じ。

するとコンビニの前をさしかかるあたりで彼が思いもよらない行動をしたのです。



なんと道路に落ちている空き缶を拾い、コンビニのゴミ箱に捨てたんです。




いやいや、そんなこと?って思うかもですが彼すごくないですか?自然にですよ?

かなり感心したのと同時に、自分が彼の前を歩いていたら僕はどうしただろうと自問自答しました。ま、自問自答というかほぼ瞬殺で答えを導き出しました。




うん。多分ね。拾ってない。

なんなら跨いでいるかもしんない。

ダメな大人です。





けどね、大体の大人がそうだと思うんですよ。誰が飲んだかもわからない。いつから落ちてたかもわからない。自分に関係ない。もっと言えば、そもそも目に入らない。


ゴミが落ちていたらゴミ箱に捨てるということは誰でも知っています。当たり前の行為です。




けどできない。自宅や職場で落ちているゴミは拾えるのにボランティア活動でもしない限り拾うことはない。誰かが見ていたらもしかしたら拾うかもしれない。


僕はこの思考が自分の脳にこびりついていることに、なんだか情けなくなったんです。





「一日一善」とか「人のために尽くす」とか平気で口にしますがそれってなんか結局自分のためなのかもなあって。「いいことをしよう」って思ってる段階で結局どこかに見返り求めてるよなあって。なんかそんなこと思ったんですよね。

いいことをしようと思うことが悪いと言ってるわけではなく、なんの見返りも求めず誰も見ていなくとも自然とできてしまう彼の行動にただただ感心したというわけです。





これはもう思考の問題です。脳が体に指令を送るかどうか。


あ、あそこに空き缶落ちてるなと認識すらできない。認識できればまだいいです。拾うか拾わないかの選択に移れるので。そしてその葛藤の中で下した決断をその人の価値観にすれば良いだけ。そこからが個性です。


うん。

です。







何が言いたいかというと彼に感心したってことです。

むむむ。



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